はじめに
・篠崎キリスト教会の兄弟姉妹の皆さん、おはようございます。ヨナ書2週目です。
本日は「魚の腹の中で」と題して、ヨナ書2章1~11節の神様の御言葉を共に味わいたいと思います。ヨナの物語は、私たちが困難や絶望の中でどのように神に向き合い、希望を見出す事が出来るのかを深く示しています。
・ヨナが魚の腹の中で過ごした三日三晩は、単なる罰や苦しみの時間ではなく、彼自身の心が神に向き直るため・方向転換するための大切な期間でした。
このように、神は私たちが立ち止まり、悔い改め、自分自身を見つめ直す機会を与えてくださいます。私たちも苦難の中にあって、神が与えてくださる苦難の意味や目的を探し求めることが大切です。
ヨナの苦難と祈り(魚の腹の中での祈り)
・ヨナは神の命令に背き巨大な魚に呑み込まれてしまいました。
この「巨大な魚」について、その種類が何であったか聖書本文には明記されていません。ヘブライ語原文でも単に「大きな魚」と記されているだけで、具体的な生物名は示されていません。伝統的に「クジラ」や「サメ」、「巨大な海の生き物」などさまざまな説が挙げられてきました。
・古代の人々にとって、「巨大な魚」は単に海の脅威や神秘を象徴する存在であり、必ずしも現代でいう特定の種を指したものではありません。重要なのは、“魚の腹”がヨナにとって悔い改めと再出発の場であったという象徴的な意味です。神の救いと導きの物語なのです。
ヨナが三日三晩魚の腹の中で過ごした時間については、聖書本文は詳細を語っていませんが、彼の心の動きを想像することができます。ヨナは魚に呑み込まれてすぐに悔い改めて祈ったというよりも、まず絶望と恐怖、孤独に包まれ、自分の状況に向き合う時間があったと考えられます。彼は神の命令に背いた自分自身を見つめ直し、苦しみの中で徐々に心が砕かれていったのだと思います。
三日三晩という期間は、単なる時間の経過ではなく、ヨナの中で悔い改めと神への信頼が深まっていく過程だったと見ることができます。最初は自分の罪や弱さに苦しみ、やがて神にすべてを委ねる決断に至ったのではないでしょうか。三日目に悔い改めて祈ったのか、それとも徐々に心が変えられていったのかは明記されていませんが、2章の祈りの言葉からは、苦難の中で少しずつ神に立ち返り、救いを求める心が生まれていったことが読み取れます。ヨナの三日三晩の心の動きは、絶望から悔い改め、そして希望と信頼へと変えられていく信仰の旅路だったと言えるでしょう。
・彼は魚の腹の中、すなわち暗闇と絶望のただ中で、神に向かって祈りをささげます。
この祈りは、彼の心の底からの叫びであり、悔い改めと救いを求める姿です。
2章2節、3節で「ヨナは魚の腹の中から自分の神、主に祈りをささげて、言った。苦難の中で、わたしが叫ぶと/主は答えてくださった。陰府の底から、助けを求めると/わたしの声を聞いてくださった。」と語ります。これは、どんなに深い苦しみの中にあっても、神は私たちの祈りに耳を傾け、応えてくださるという希望の証しです。
・ヨナの祈りには、神への深い信頼と依存が表れています。彼は自分の無力さを認め、ただ主に助けを求めました。私たちも困難に直面したとき、自分の力だけで立ち向かうのではなく、神に心を開き、祈りを通してすべてを委ねることが大切です。
・このような祈りの中で、ヨナは自分の過ちや弱さを認めただけでなく、神の救いの力に目を向けました。彼の告白と信頼は、私たちが困難に直面した際にどのような態度・姿勢を持って神に応答すべきかを教えています。神は、私たちの心からの祈りと悔い改めを受け入れ、決して見放すことはありません。
「魚の腹の中」とは何か(魚の腹の中の象徴的意味)
・私たちも人生の中で、まるで「魚の腹の中」にいるかのような時を経験します。
先が見えず、出口も分からず、孤独を感じる時です。しかし、神はそのような場所でこそ、私たちの心を砕き、御声を聞かせてくださいます。
ヨナはその苦しみの中で、神への賛美と感謝をもって祈ります。
「わたしは感謝の声をあげ/いけにえをささげて、誓ったことを果たそう。救いは、主にこそある。」(2章10節)。絶望の中でヨナが神に立ち返り、信仰を新たにする姿は、私たちへの励ましでもあります。
・このヨナの物語は、私たちの日常生活にも深く結びつき、関連しています。例えば、うまくいかない人間関係や仕事での挫折、思いがけない病気や困難など、私たちも時に「魚の腹の中」にいるような状況に置かれることがあります。そうした時、神は私たちを見捨てるのではなく、むしろその場所で私たちに語りかけ、成長する機会を与えてくださいます。今まさに私にも小さな成長の機会が与えられている。と感じています。10月1日に手術した患部の痛みが続き、「当たり前と思っていた健康が当たり前では無かった」事に改めて気付かされました。傷の痛みによって、身体の健康が重要であること。健康に毎日を送るために何が必要なのか考える日々を過ごしています。結論は出ていませんが。
・ヨナの物語は、私たち自身の人生の歩みにも大きな示唆を与えてくれます。
試練や困難の中で自分の限界を感じたとき、私たちは神に心を向け、祈りによって新しい希望を見出すことができます。ヨナのように、絶望の中であっても感謝と賛美を忘れず、神の導きに信頼を置くことが、信仰者としての成長につながります。
神の憐れみと新たな歩み・使命
・神はヨナの祈りを聞き、彼を魚の腹から解放されました。ヨナが救われたのは、彼自身の力や知恵によるのではなく、ただ神の憐れみによるものです。私たちもまた、困難の中で神の憐れみにすがり、導きを求めるべきです。
神はヨナに新しい使命を与え、再びニネベに向かうよう命じます。
苦難の後には必ず新たな歩みが待っており、私たちが神に信頼して進んでいく時、神は必ず道を開いてくださいます。
・私たちが「魚の腹の中」にいると感じる時、それは人生の転機や、信仰が試される瞬間でもあります。ヨナの物語から学ぶべきは、困難の中にあっても希望を失わず、神の御手を信じて祈ることで、必ず新たな光が差し込むということです。神は私たちの弱さを知り、愛をもって導いてくださいます。
・ヨナの物語は、私たちに忍耐と希望の大切さを教えてくれます。
困難が続く中で心が折れそうになっても、神への信頼を持ち続けることで、必ず救いと新しい道が示されます。また、苦しみの中で祈りを捧げることが、心の平安や成長への第一歩となるのです。
招詞・悔い改めと応答の実践
・招詞にマタイによる福音書12章41節を選びました。ご一緒にお読みしたいと思います。
-マタイによる福音書12:41「ニネベの人たちは裁きの時、今の時代の者たちと一緒に立ち上がり、彼らを罪に定めるであろう。ニネベの人々は、ヨナの説教を聞いて悔い改めたからである。ここに、ヨナにまさるものがある。」 ありがとうございます。
・この招詞「マタイによる福音書12章41節」は、イエスが当時の人々に対して語った言葉です。ニネベの人々は、旧約聖書の預言者ヨナの説教を聞いて悔い改め、神の憐れみを受けました。一方、イエスの時代の人々は、ヨナよりも偉大な存在であるイエス自身が目の前にいるにもかかわらず、その教えを受け入れようとしませんでした。
神の言葉に対する応答の大切さを強調しています。ヨナの説教で心を改めたニネベの人々は、やがて神の裁きの日に証人となり、イエスの教えを拒んだ人々を責めることになるでしょう。つまり、神の呼びかけにどう応えるかが、私たちの人生と信仰に大きな影響を与えるのです。
イエスは「ここに、ヨナにまさるものがある」と語ることで、ご自身が神から遣わされた救い主であることを示し、私たちがそのメッセージを真摯に受け止めるべきだと教えています。この聖句は、悔い改めと信仰の重要性、そして神の恵みに対する感謝を改めて思い起こさせてくれます。
・マタイによる福音書12章41節とヨナ書2章1~11節は、悔い改めと神の憐れみというテーマで深く響き合っています。ヨナ書2章では、ヨナが魚の腹の中で苦しみの中から神に祈り、神の憐れみによって救われます。この体験が、彼自身の悔い改めと神への信頼に繋がり、やがてニネベの人々への宣教につながります。一方、マタイ12章41節では、ニネベの人々がヨナの説教を聞いて悔い改め、神の憐れみを受けたことが語られています。
この二つの箇所は、困難の中で神に呼び求めることの大切さ、そして神が悔い改める者に必ず憐れみを示されるという共通メッセージを持っています。ヨナの祈りと救いの物語は、イエスの教えを通してさらに深い意味を持ち、私たちに悔い改めと信仰の重要性を改めて示しています。神の言葉にどう応答するかが、救いと新たな歩みへの鍵となるのです。
・このように、私たちの人生の中でも、神の言葉にどのように応答するかによって、その後の歩みが大きく変わります。困難な時こそ、神の御声に耳を傾け、心を開いて応答することが求められます。私たち一人ひとりが、与えられたメッセージを受け取り、それを日々の生活の中で実践することが大切です。
終わりに
・「魚の腹の中で」は、単なる苦しみや絶望の象徴ではなく、同時に祈りと希望が芽生える場所でもあります。ヨナが深い闇と孤独の中で神に叫び、心から悔い改めて祈ったように、私たちも人生の困難や行き詰まり、絶望に思える状況に直面した時こそ、神に心を開いて叫ぶことが大切です。神は私たちの弱さや苦しみを知っておられ、どんなに深い場所からの祈りにも耳を傾けてくださいます。
私たちの日々の歩みの中でも、「魚の腹の中」のような体験、すなわちどうにもならないような状況や心が折れてしまいそうな苦しみを感じることがあるでしょう。しかし、そのような時こそ、神への信頼と祈りが私たちを支え、希望に導く力となります。
ヨナの物語が示すように、神は祈りに応え、絶望の中にも新しい道、すなわち再び歩み出す勇気や、新たな使命を必ず与えてくださいます。
また、ヨナが魚の腹の中で祈りを捧げたことは、私たちが苦しみの中でこそ神との関係が深められるというメッセージでもあります。困難を避けるのではなく、そこに留まり、神により頼むことで、私たちの信仰はさらに強められ、心も成長していきます。祈りを通して私たちは神の愛と恵みを再確認し、どのような状況でも神は私たちを見捨てず、導いてくださることを覚えることができます。
ですから、私たちもヨナのように、困難や試練の中であっても、決してあきらめずに神に叫び続けましょう。神は必ず私たちの声を聞き、希望の光をもたらしてくださいます。そしてその経験が、やがて隣人を励ます証しとなり、私たち自身にも新たな使命と喜びが与えられることでしょう。
苦しみや絶望は、私たちの神への応答(悔い改め・祈り) によって、神は希望へと変えてくださることを覚え、共に感謝します。
祈り
・お祈りします。愛する真の命の神様、あなたの憐れみと導きに感謝します。
ヨナが魚の腹の中であなたに叫び、悔い改めの祈りを捧げたように、
私たちも困難や弱さの中であなたに心を開きます。
どうか私たちの祈りを聞き、あなたの恵みと救いで私たちを満たしてください。
・私たちが苦しみや試練に直面するとき、
ヨナのように信仰を持ってあなたに立ち返ることができますように。
恐れや絶望の中でも、あなたへの信頼を失わず、
あなたの御声に従う力を与えてください。
悔い改めの心をもって歩み、新しい使命へと導かれますように。
・主よ、あなたは私たちの叫びを決して見捨てず、
希望の光をもたらしてくださるお方です。どうか私たちを励まし、信仰を強め、
日々の歩みに力と喜びを注いでください。
・私たちの人生が、あなたの愛と恵みの証しとなりますように。
イエス・キリストの御名によって祈ります。
アーメン。